我が人生最悪の引越しを72時間で終え、岐阜から東京に戻ったのが8月の22日。
突然の父親の訃報(とほう)を受けたのが同日。
岐阜の新居を経由し、急遽千葉へ駆けつけたのが8月の24日。
無事に父親の葬儀を終えたのが8月の26日。
これでやっと岐阜の新居に戻って山積みの荷物を片付けられると思いきや。
大量にある親父の遺品整理でまたもや千葉に釘付けになった山羊山。
まずは数ある遺品の中のひとつ、クボタのバックホー。
バッテリー衰弱からの充電。
そして断線部分を繋いでついにバックホーのエンジンが始動。
バックホーを操る楽しさに大歓喜の山羊山。
これが私の生きる道なのかも知んない。
なーんて思ったのも束の間。
バックホー、壊れる。
バックホーを順調に壊した後はしっかりクボタの耕運機:K700も攻略。
車がない岐阜ではなく、自由に使える車がある実家にいるうちにやっといた方がいいだろうということで、自動車運転免許のAT限定を解除。
遺品整理はまだまだ道半ばではございますが、ゴールに向けて大まかな道筋は見えてきたような気がします。
というわけで本日は、我が人生最悪の72時間シリーズも最終回、荷物運びこんだっきりの自分の汚部屋にそろそろ一旦帰国しようと思いますよ。
岐阜に帰ろう
もはや何日ぶりか尻ませんが、岐阜に戻ってまいりましたよ。

一番心配してたのは「窓開けっ放しだったらどうしよう」でしたが。
部屋がビチービチになってることもなく、窓もしっかり閉まってたのでひと安心。
荷物は相変わらずうんこもりもりでしたけれどもね。

自炊できる環境もまだ整っていないので、近くのスーパーへ行きますよ!
スーパーへの道を通るのは、親父の葬儀へ向かう前日の夜以来です。
あの日は雨だったということもあり、我が人生で最高に心細かったのを覚えています。
この世に絶望して自ら命を断ってしまう人の気持ちの、ほんの数パーセントでしたが、わかった気がしました。
スーパーの半額お惣菜で豪遊!
刺し身とおにぎりとサンドウィッチー。

ビャハハハハハハハハ
我が家のベッド
夜の照明の電気代なんて死んでも払いたくない僕は、USBで点灯するUSBライトをANKERのポータブル電源で輝かせています。
正直暗いです。
この暗さで生活してたら精神を病んでしまいそうなので、遺品整理が終わって晴れて本当の意味でこの家に戻ってくる時が来たら、もっと美化―美化に輝くUSBのLEDライト買おうと思います。
寝るスペースをこしらえて、久々のマイ・マットレスで就寝。

おやすみなさい。
部屋を片付けんぞ
岐阜の我が家に滞在するのは一週間ほどの予定です。
その間でできる限り部屋を片付けていきたいと思いますよ!
引っ越しして、新居の荷物を整理・配置する場合、僕はまず収納家具を組み立てます。
部屋のスペースに余裕のある人は家具とかのレイアウトをビチービチに決めてからでいいと思います。
しかしながら僕の場合、平凡な1K間取りなのでスペースに余裕がありません。
「アレをコッチに動かしてー」の、「アレ」を「コッチ」に動かすスペースがそもそも無いのです。
なので、まずは収納家具をとにかく組み立てて、そこにポコポコ荷物を格納して、スペースを生み出していく必要があるわけなんですねー。
収納!

収納!

収納!

これ何ていうの?
この、壁にめり込んでる木の板って何て言うのですかね。

これ、めちゃくちゃ便利です。
何もない壁に突っ張り棒って、あんまりビチービチに頑張りすぎると痕がつくじゃないですか。
でもこの板があると、頑張って突っ張らなくても下から支えてくれてるので服とか余裕でかけれれます。

ビャハハハハハハハハ
この部屋何気に機能的にできてますね!
「アレ」や「コレ」を「コッチ」に「アッチ」に移動するスペースの余裕が段々生まれてきましたよ!
岐阜市のいいところ
かつては「レジ袋がゴミ袋」という文化が当たり前でしたが、有料化されて以降、そのような文化は急速に排他されていっておりますよね。
しかしながら、ここ岐阜市は違います。
岐阜市は、有料のゴミ袋システムではなく、透明か半透明の袋であればレジ袋でも捨てれれます。
さらに、近くのドラッグストアは反体制を気取っているのか尻ませんが、「無料ですが袋要りますか?」と、レジ袋を無料でばらまいてくれております。
最初聞いたときは耳を疑いましたよね。
店「レジ袋要りますか」
山「要りません」
店「無料ですけど」
山「要ります!!」
つまり、岐阜市とドラッグストアのコンビネーションで、ゴミ捨て放題なんです。
これ結構嬉しくないですか?
僕は嬉しい。
岐阜に来てよかったと思うことの一つです。
岐阜の嫌いなところ
山間部という地勢柄なんでしょうか。
雨がすごいんですよ。
さっきまでカンカン照りだったのに、なんか風が冷たくなってきたなあと遠くを見てみればイヤーな雲が垂れ込んでいて。
したらもうあれよあれよという間に盛大なスコールですよ。
ゲリラ豪雨は東京にいた時もありましたが、スケールと頻度が違いますね。
雨の一粒一粒がでかい。

岐阜ビギナーの僕は布団干したままホームセンターに行ってしまい、速攻で布団やられましたもんね。
岐阜のゲリラ豪雨を御見舞されて、東南アジアはカンボジアの超絶スコールを思い出しましたよ。
岐阜の我が家で暁ニ想フこと
千葉の実家で遺品整理に追われ、船だ畑だ農機だ重機だと西へ東へ。
毎日毎日汗とホコリにまみれた生活から一転。
のんびりと汚部屋の整理整頓収納をする毎日。
ほいでね。
不思議なもんでね。
なんかあの、刺激的な毎日が恋しくなってる自分に気づくわけなんですよ。
バックホー乗りたい!
畑耕したい!
夏の日差しに灼かれて汗ダラダラ流して土にまみれてそしてシャワー浴びて「生き返ったー!」とか言いたい!!
僕は今まで、朝起きたら外国語のお勉強して、絵の練習して、SEのお仕事して、
というように、家に閉じこもる生活をしていました。
それが、今や朝起きたら畑に出ないと落ち着かない体になってしまったわけです。
父親の死ってのは誰にとっても人生の一大事であると思います。
でも、僕みたいに、それとはまた少し違った意味での人生の転換点になるパターンも、あったりするんじゃねえかなって思いました。
「父親の死をきっかけに家業を継いだ」とか、言うじゃないですか。
44年生きてきて、家の中より実はお外の方が好きだったなんて、自分でも驚きですわ。
と、いうわけで。
東京から岐阜へのミッションインポッシブルなお引っ越しから始まり、父親の死を経て遺品整理に釘付けとなった我が人生最悪の72時間(延長戦含む)でしたが。
やっぱり人間、やればできるもんですね。
人間すごい。
俺すごい。
人はこうして成長してゆくのですね。
でもですね。
あれです。
一つだけ、心にひっかかっていることがあります。
それは、親父が俺の代わりに死んだんじゃねえかということです。
2日で東京と岐阜を2往復するという無茶な引っ越しスケジュールに間に合わせようとしたゆえに、車の運転にも無理が生じてしまいました。
実は自分、あの道中のどこかで、ほんとは事故って死んでいたのではないだろうかと。
親父がそこで、自分の身代わりになってくれたんじゃないだろうかと。
そんな事をグルグルと考えてしまう時間が、押しては返すさざなみのように定期的にやってきます。
僕は、神も仏も信じる人間ではありません。
それでも葬儀前日の夜、雨の中を歩いていると、やはりそんなことをね、考えてしまうわけなんですよ。
死の間際、助けを求めただろうか。
自分の名前を呼んだのだろうか。
せめて苦しまずに逝けただろうか。
遺影を見ると、まだ胸が痛みます。
霊とか魂とかも信じておりませんでしたが、少し考え方や物の見方が代わったのかもしれません。
父とビチービチに目を合わせられるのは、まだまだ先のことかもしれません。
それでも、餞というわけではありませんが、この遺品整理は、最後の最後まで、息子が見事完遂させて見せますよ!
長いこと我が人生最悪の72時間に最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!
みなさまには、本当に頭が下がりません!
そうです、山羊山は絶対に頭を下げません!!
頭は下げないしお尻も拭きませんが以上、我が人生最悪の72時間最終回「山羊山は生きることにした!!」でした。
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