みなさんは、「外国語力とは何か?」と聞かれたら、何と答えるでしょうか。
リスニング力、文法力、語彙力などをあげる人もいるでしょう。
TOEICやTOEFL、英検など検定の結果ではかる人もいるでしょう。
そんな中でも、
「外国語力とは、聞く読む話す書くの総合力である」
そう考えている人も多いのではないでしょうか。
なぜならば、僕がそうだったからです。
僕がそう考えていたんだから、みんなも同じじゃなきゃイヤだ!やだやだ!
そんなわけで本日は、多くの人が前提としている「外国語力とは、聞く読む話す書くである」の誤解といいますか、
いつもと違った視点を拙著:「外国語の筋肉」の中から抜粋してシェアさせていただきたいと思いますよ。
外国語は「聞く読む話す書く」じゃないって知ってます?ぼくしってる。著者だから。
きっかけ「話す」と「書く」
今では9か国語の学習を並行して進めている僕ですが、外国語力について考えるきっかけになったのは、まだまだ英語で手一杯だった時期のことです。
その頃はまだ「外国語の筋肉」という概念に辿り着く前の、「聞く読む話す書く教」の信者でしたから、学習方法や教材も、なんとなく「聞く読む話す書く」を軸に考えていたように思います。
当時は会社勤めの身でしたから、朝夕の電車通勤時間を学習に充てていました。
使用していた教材は、森沢洋介さんの瞬間英作文です。
比較的シンプルな日本語が音声で流れ、数秒のインターバルの後に英文が流れます。
日本語を聞いて、数秒のインターバルの間に、英文を瞬間的に組み立てていくという学習法です。
さすがに電車の中で発音するわけにはいきませんので、マスクをして、口や舌、喉などは動かしますが、声には出さず、軽く息を出す程度の、無声音でこのトレーニングを試していました。
スマートフォンで音声を再生するだけなので、通勤時の外国語学習としては最適でした。
平日はこの声に出さない「話すトレーニング」を行い、土日は自宅で机に向かい、同じ教材を使って「書くトレーニング」を行うという学習プランでした。
「書く」で起こる不思議な現象
平日の会社勤めと話すトレーニングをこなし、週末となりました。
会社が休みなため、1日を外国語の学習に充てることができますから、机に向かってじっくり、書くトレーニングに取り組むことができるわけです。
しかしながら。
書くトレーニングを行う中で、とても不思議なことが起こります。
復習も兼ねて、平日に行った話すトレーニングの内容を、書くトレーニングでも試したのですが、拍子抜けするほどにスラスラとこなせてしまったのです。
前述した通り、平日の通勤電車内で「話すトレーニング」は実施しました。
しかしながら、「書くトレーニング」はやっていません。
にも関わらずです。
話すトレーニングしかやっていないのに、書くことができるようになっていた。
みなさんは、これを当然のことと感じるでしょうか。
しかしながら、「外国語力が聞く読む話す書く」であるならば、「書く」能力は、「書くトレーニング」をしないと鍛えられないはずです。
ところが実際には、「書くトレーニングをしていないにも関わらず、書く能力が向上していた」という結果になっています。
この不思議な現象にどうにも納得のいかなかった僕は、「外国語力とは聞く読む話す書くである」という定説に疑問を抱くことになったわけなのです。
話すができれば書くもできる
僕はここで、「話す」と「書く」という動作について自分なりに観察してみることにしました。
だって、書くトレーニングをしてないのに、書けるようになっているのはどう考えてもおかしくないですか?
手始めにまず、通勤電車内で行っていた「話すトレーニング」の内容をいくつかのプロセスに分けて考えてみることにしました。
1.例文を日本語の音声で聞く
2.数秒間のインターバル
3.その間に頭の中で英文を組み立てる
4.組み立てた英文を発音する
5.例文を英語の音声で聞く(答え合わせ)
6.次の例文に移る
3と4を並行して行う場合や、英文の組み立てに詰まった場合は5で再生を止めて答えを目視で確認する場合もありますが、基本はこれでひとつのサイクルになります。
では次に、土日に行っていた「書くトレーニング」を見てみましょう。
1.例文を日本語の音声で聞く
2.音声の再生を停止する
3.頭の中で英文を組み立てる
4.組み立てた英文を書く
5.音声の再生を再開する
6.例文を英語の音声で聞く(答え合わせ)
7.次の例文に移る
こちらも話すトレーニングと同様、工程3と4を並行して行ったり、6でテキストを確認することがあります。
話すトレーニングと書くトレーニングのプロセスをまとめると以下のようになります。
①日本語を聞く→②英文組立→③発音→④回答確認
①日本語を聞く→②英文組立→③書く→④回答確認
並べてみると一目瞭然ですが、①②④と同じ動きをしています。
その中でも注目なのは、②の英文組立です。
話すときも書くときも、同じ「英文組立」というプロセスを経ています。
「話す英文組立」と「書く英文組立」。
これら2つの英文組立は、別のものなのでしょうか。
見えてくるひとつの仮説
ここでひとつの仮説を立てることができます。
それは、「話すときも書くときも、英文を組み立てるというプロセスにおいては脳内で同じ処理をしているのではないか」という仮説です。
英文組立→話す
英文組立→書く
最終的な伝達方法が話す(音声情報)か、書く(視覚情報)かの違いなだけで、そこに至るまでの、頭の中では同じことが起きているのではないか。
僕はそのように考えたわけなのです。
話すと書くの共通部分とは
「英文の組み立てという工程においては、話すときも書くときも、脳内で行われている処理は同じである」という仮説を立てました。
「脳内」という「言語工場」で「話す」と「書く」という全く違う製品を作っているつもりだったのに、実は生産ラインが途中まで同じだった、という話です。
これは僕にとって、かなりインパクトのあるストーリーです。
なぜならば、この仮説が事実であれば、「話す」と「書く」の境界線が曖昧になり、それによって「英語力とは聞く読む話す書くである」という僕が思い込んでいた大前提がひっくり返ってしまうからです。
英語力とは何なのか。
英語で話す、英語で書くとはどういうことなのか。
この謎を解くカギは、やはり「英文の組み立て」というプロセスの中にありそうです。
外国語の組み立てとは
外国語の組み立てとは、私達日本人にとっては日本語から外国語への変換作業です。
この変換作業には、どのような要素が必要なのでしょうか。
僕には脳科学や言語学などの知識はもちろん、下地となる素養もありません。
しかしながら、辿り着いた答えは、専門知識など必要はなく、当初考えていたよりもずっとずっとシンプルなものでした。
僕がたどり着いたシンプルな答え。それは、
外国語への変換は、単語を文法のルールに沿って並べる
たったこれだけのことだったのです。
話すときや書くときの外国語の組み立ては、英単語と英文法だけで可能である。
この結論を聞いて「ホンマかいな」と思う人もいるかもしれません。
しかしながら、これが本当なのです。
外国語訳をする際、私達は頭の中で何をしているのか。
試しにみなさんも考えてみて下さい。
自分で自分を観察してみるのもよいと思います。
必要な単語をピックアップし、それを文法の構文に当てはめていく。
何度考えてみても、これだけなのです。
世界は意外と、単純にできているのかもしれません。
5つの外国語の筋肉へ
僕の思考はここからまだまだグリグリと続いてゆくわけなのですが、ちょっと長くなってしまうので一旦ここまでにしておきます。
お伝えしたかったのは、「聞く読む話す書く」で考えを止めるのではなく、さらに一歩踏み込んで考えてみる必要があるのではないか?ということです。
「外国語の筋肉」では、当記事で触れた「文法筋」と「単語筋」を含め、外国語力を構成する能力を筋肉にたとえ、「5つの外国語の筋肉」として解説させていただいております。
これまでの常識にとらわれない、「聞く読む話す書くではない、外国語力を構成する能力」という概念を、ぜひみなさんの学習に取り入れてみてください。
外国語学習の成果が感じられなかったり、そもそも学習教材を選べなかったり、そんな悩みを持つみなさまに、きっとお役に立てたり、立てなかったりすると思いますよ。
外国語学習の概念が変わる「外国語の筋肉」、みなさんもどうぞー!!
外国語力は聞く読む話す書くじゃないって知ってます?僕しってる。考案者だから。
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